|
アメリカがアコーディオンの豊かさをつくった。そして---NO2
カステルフィダルドには2つの小山がある。1つは1000年の歴史をもつ旧市街 の砦の街。ここがアコーディオンの故郷といっていい。この旧市街を見渡せる 位置にモニュメントと地元でいう、公園の丘がある。 2006年4月はまだ朝は冷たい風が丘をふき抜ける。頂上にはモニュメントの 名前のもとになったレリーフが威容をみせている。
そう古くは無い頃、このカステルフィダルドが敵の攻撃を受けたとき市民含めて 勇敢に戦って、街を守ったというふうに思える巨大なレリーフだ。

しかし、アコーディオンのメッカの根源は実はこのモニュメントの丘のとなりにあった。 墓地である。 ここにはアコーディオンの父でありカステルフィダルドの一番尊敬される人パオロ・ ソプラーニほかが眠っているはずだ。きれいな壁面の墓標がいくつも建っている。 朝もやを切り裂くように立っている。墓標の装飾もITALYらしくあかぬけしている。 デザインの民は眠りの場もそれにふさわしい墓標だ。モリビドーニの名前もあった。


でも楽器作りに汗を流し、工夫をし、音を調べて、改良してきた多くの職人はおそらく、 この丘にはいない。ここは一等地のモニュメントで限定された人のみが眠れる場所 なのだという。
アコーディオンの472ものメーカー、その90%以上は開始後まもなくやめ、あるいは 100年近く続けた末にやめた。 ELIO GBBANELLIも言っていたように、「アコーディオンでは家族を養えない」のだと いう。せめぎあうようにして立ち並ぶ旧市街の石畳を歩いているとなにか魂がささや くような気がした。多くの職人がその家族がここで暮らし、働いてそして死んでいった。 その1つ1つの命が今弾いている楽器のもとになって、まだ生きている。そんなカステ ルフィダルドの夕暮れは、また人恋しい。


|