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アコーディオンのメッカ、カステルフィダルドを往く。 NO-2
カステルフィダードは坂の町だ。平らな道というのが、ほとんど無い、といっていい。必らず傾斜があって、 曲がっている。そのくねくねと曲がる細道を、みんな車で移動している。 「この町は皆、クルマなんだ」とGABBANELLIの社長兼運転手が言った。 「確かにこの急斜面を毎日、てくてくウォーキングじゃタンへンだしね」。 こんなせまい道にどうして駐車するのやら、と思っているとどうも、割り当てられたスペースがちゃんとあるようだ。 そうでもしないと町中、駐車違反だらけになる。


 カステルフィダルドはパオロソプラーニの町、といってもいいほど、パオロソプラーニが今流の醜い言葉でいえば、「勝ち組」でしかもその大将だった。だったというのは、もう20数年前、工場は閉鎖、会社は左前。 一時は500名を越える工員を擁し、それでなくとも決して広くはないこの町のかなりの部分をパオロソプラーニが 占めていた。 そういう時代があったのだ。 つい20数年前まで、そうだった。
アコーディオンの黄金時代といわれる1960年代は、 対米、アメリカ向けだけで、実に毎月40000台のアコーディオン が、ここカステルフィダルドの城砦の町から輸出されていた。1人15台月あたりで、3000人近くの職工が、毎日 アコーディオンをつくっていたんだね。すごい数字だネ。 町は好況に沸きたち、大将のパオロソプラーニはおそらく市長かそれ以上の力を持っていたに違いない。
町の見晴らしのいいメイン通りの一角にそのPソプラーニの工場あとが、今は住居かなんかになった建物がある。その母屋の端に、古い壁がそのまま残って続いていた。 本当の工場の跡は、その端っこにある古びたほうだった。亡霊でもでてくるか、というような人気のない無人の 工場である。窓はやぶれ、窓の木枠は乾燥し、それて割れている。窓はふきさらしのままだ。もう修理もしないようだ。 1つの建物の1階だけは音楽スタジオになっている。昼から若者がぶんちゃかジャンジャンやっている。
カステルフィダルドのもう一つの名所は「アコーディオン・ミュージアム」だ。(以後 次回)


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